2008年05月30日

風浦 かぜうら

■姫路市豊富町鍛冶内■

疎水脇の鍛冶内地蔵堂.JPG   仁豊野橋より北を望む山なみ.JPG



 仁豊野橋東詰めの信号辺りが小字でいう「風浦」の該当地で、村の中心はもうすこし北の地蔵堂辺りにあって、そこは鍛冶内村の「鍛冶内」という小字名(こあざめい)である。
 もと豊富の公民館長を勤めた故大西忠雄氏は、このあたりに「おこんじ」「折戸」「三昧」とよぶ旧の小字が存在したと語る。察するにおこんじは分岐点に祀られる「お庚申」がつづまったもの、折戸は「降り戸」の替え字で、主要道へつなぐ渡河地点を表している。
 市川の流れに左右されつつ発達した村は、たえず自然を意識しつつ暮らしを重ね、とりわけ川向うの西北に屹立する広峰山系から吹き降ろす風の影響は計り知れないものがあったに違いない。風をいまに伝える小字地名「風浦」の浦は、船の停泊を示す湊の意味もあろうが、堆積する土砂その他が風の作用で漂着する汀(みぎわ)を「風浦」と人は呼び、強風を必要とした古代の鍛冶部(かちぬべ)、鍛冶職の集団の居住地にちなむ鍛冶内村の起こりになったと考えている。折りしも(古墳時代中期)から、四世紀後半ごろの「たつの市竹万遺跡」で「朝鮮半島で造られた農耕具鋳造鉄斧(てっぷ)一点が見つかった」との新聞報道は心強い。
 風を表す言葉にこんなものがある。西北から吹く風を「アナジ」「アナゼ」と云い、それは北西からの季節風を指すらしく、風が吹く方角だとか風音を五感でとらえる細やかな感性を持ち合わせた先人は、東風を「こち」などという風言葉を生み出した。風の研究家高橋順子氏は「瀬戸内中西部 四国を中心とし西日本一帯で使われ、冷たく乾ききった北西からの季節風をいい「あなじ」と「あなぜ」を較べると「あなぜ」のほうが古い言葉だったようだ」との説に、古代製鉄に関連するという市川下流域の飾磨区阿(あ)成(なせ)という地名が思い浮かび、市川を縦軸とした渡来人の移動が地名に刻印されていると見た。
posted by 早春 at 21:02| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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