2008年03月26日

射目崎 いめさき

■姫路市飾東町塩崎■

塩崎 明神の森.JPG  屈曲する天川.JPG

 飾東町を南北に縦貫する天川の源流は、古法華ダムを起点にして猫の谷をくぐり抜けると姫路市の東部御着へ至り、およそ全長18キロメートルを南下して播磨灘に注ぐ。
 天川中流域の両岸にまたがる塩崎の北方に「射目崎」とよばれる地名がある。ここは急な角度で大きく方向を変える堤防沿いにあって、村の人たちが「才の神さん」と呼ぶ明神社が南向きに立つ。
 射目崎という地名について、日本地名研究所の谷川健一所長は、むかし鉄砲伝来以前の話として「狩人が獲物を狙うために射目を立てた所を射目崎といい、この地名は古代の狩猟に関わる地名」であると述べる。また射目は翼目とも書き、崎は先の当て字であろうと結論づけている。 狩人といえば山中の獲物を仕留めることを生業とするはずなのに、このような川の淵に射目を立て獲物を狙うのだろうか。この疑問は『風土記の考古学2櫃本誠一編』の中で、田中真吾氏の「塩類泉による塩水を動物群が求めて集まっていると考えられる。塩類泉がたとえば山崎断層線沿いなど、古い構造線沿いで噴出していたであろうことは容易に考えられる」との明解な論ですべてが解けた。そうであれば湾曲部の水がよどむ場所は、塩類泉が滞留する動物たちの格好の水飲み場だったに違いなく、人だけでなく生き物に不可欠な塩分の補給を目当てに、動物たちが集まってくる場所は最高の狩場だったことから射目崎と名付けられたのだろう。だとすれば同じ町内北部に立地する八重畑鉱山との脈絡もおおいに参考になりはしないだろうか。
 計り知れない地底のつながりはこれだけではない、塩崎近辺の豊国・春日野・上原田地区の氏宮である春日八幡神社のご祭神の一人たたら守護の神、天児屋根命の名は歴史の深層部にぼんやりと薄明かりを届け、もしかするとここが「風土記」記載の古社「射目崎明神」との説も成り立ってくる。
posted by 早春 at 21:43| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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