2005年11月07日

長老が谷 ちょろがたに

■たつの市御津町室津■

長老が谷
整備された御茶屋跡

「山三方を構え江の内静か・・・西国第一の湊にて類いなき景勝也」と『播磨鑑』に記された播磨室津の居ずまいは、さほど昔と変わらぬように見受けられる。
 しかし路地を歩くと大きな変化に気がついた。それは町中に何箇所かあった共同の井戸がどれも分厚い頑丈な蓋で覆われ、井戸端に人の気配はまったくなく、日々の暮らしの水を賄い世間話に花を咲かせた気の良いおかみさん連中の姿は井戸端にもう見えない。
 川に恵まれない室津の生業(なりわい)を支えてきた井戸水の源は、後背の山々がふところ深く育んできた恵みの水に違いなく、江戸時代に室津を訪れた異国人たちは、山の頂まで耕された畑を印象深げに書き残している。
「長老(ちょろ)が谷」は、こんな山の谷筋に付けられた名前で、チョロチョロと心地よい流れの水音から付けられた擬音地名の類であろうか、寺院の多さと多種多様な人物の交流が、長老の当て字につながったのだろう。歴史のひだを地名に織り込んだ妙味のある地名である。  細々と流れ下るこのあたりに、流れを取り入れた旅人の休息する茶屋があったと地元では伝えられ、前述の『播磨鑑』は桂本寺の寺跡であると載せている。異人たちの目を見開かせた段々畑の養い水は、山ひだを伝う幾筋かの水の道があったらばこそ、四季折々の実りを里人にもたらしてきたのだろう。
なおこれを裏づける資料が、室津本陣をつとめた薩摩屋こと高畠家が文化3年7月(1806)旱魃のため自分所有の長老が谷の井戸の下道の脇に、新しく井戸を掘りたいとの嘆願書を差し出している。
時が移り時代は明治と名を変えたころ、谷水の集まる山裾の一画に隔離病舎が建てられた。山の滋養をたっぷり含んだ清冽な水は、病に臥せる人への癒しの水となったに相違ない。
現在病舎跡は地区の墓地となり、墓の清掃や佛花の変え水として山の恩恵は果てしなく続いている。
(写真はとんび岩通信さんよりお借りしました)
posted by 早春 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 地名アラカルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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