2005年10月21日

加藤家概略

長屋門.JPG
長屋門

江戸後期から明治期における加藤家の概略

 揖保川が下流で大きく分岐する左岸に位置する加藤家は、江戸時代一橋家その他天領から運び込まれる年貢米の収受や保管、さらに売却を一手に行う蔵元で、揖保川の水運を利用して廻船業を営み、屋号を成田屋と称した。
なお幕末期より地元産の塩を使用して醤油や素麺業を営み、『網干町史』によると「すこぶる富む」と富裕な豪商の姿を伝えている。
なお加藤家には文化10年生まれ、明治38年92歳の高齢で亡くなった高文氏と長男邦太郎氏の手記が古文書資料として現在姫路市に委託されている。これらの資料によると、代々次郎兵衛を名乗ったようで、次郎兵衛の名が年代を越えて散見できる。また成田屋の屋号は享保17年(1732)勘十郎の名で現れ、加藤の苗字が使われ始めるのは寛政2年(1790)を初出とし、苗字のみの拝領だったのか帯刀御免だったのかは今のところ資料を欠く。
弘化3年長男が誕生する。名は壽文、邦太郎といい、明治維新当初飾磨県会議員を務め、のちに初代網干町長となった。
 高文氏は明治6年飾磨県に勤務、権少属を任命されたがすぐに中属を拝命し、地租改正の職務にたずさわり県下をくまなく調査、明治9年3月退官して著述業に専念、
著述の一部は国会図書館の所蔵書として保存されている。
高文・邦太郎ともに余子浜法専寺に墓がある。
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Posted by みんなのプロフィール at 2005年10月22日 03:24
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