2008年02月09日

美道路 みどろ

■姫路市西庄■

姫新線の綿所踏切.JPG  薬師堂に秋の風.JPG


 西庄北口のバス停で降車、姫新線の「綿所(わたじょ)」踏み切りを南へ、東方の大木の陰の薬師堂に詣でると、昭和58年9月改修の堂内に地蔵が四体寄り添っていた。
屏風を立て巡らしたかのように西を山で遮られた西庄は、明治6年(1873)旧の西脇村と庄村が合併して一村になった合成地名の先駆けである。
 薬師堂近くの舗装が行き届いた広幅の道も、かつては夢前川が流れていた時代があったので、田仕事すら困難と思える湿地が広がっていたことだろう『姫路城史・中巻』によると「明暦元年(1655)姫路城主の榊原忠次が横関に堰を築き、西の菅生川御立の横関から南へ流れていたものを合流させた」とある。すれば先の踏み切り名「綿所」は、むかしの渡河地点を表す「渡所(わたじょ)」の変え字に違いないと思いつく。
旧河道に当たる美道路周辺は、人工的に地下へ潜らされた伏水が古い記憶をたどり地上へと染み出し、表土は照る日曇る日を問わず常に水浸しの状態がつづいていたのではないか。そこで湿地の最たる地名「ミドロ」地名が起こった。なおミドロを漢字に直すと深泥が最適であろうか。その地名解釈は「ミ」を接頭語に据えて「ドロ」には泥でなく道路の字があてがわれた。まさに広幅の道作りが前もって計画されたかのような名付けの智恵が今に活きる。同じ泥の付く地名もミが付くとより深いどろっとした状態を表し、西に隣接する西美道路から広範囲な湿地の広がりが想定できる。
 ミドロの当て字は数多くあって、水泥・味泥・見土呂など漢字の妙味もさることながら湿地へのこだわりと思い入れは、農耕民族の性(さが)が為せる業かも知れない。ちなみに市内のミドロ地名は、区画整理が行われて昔日の面影の失せた白浜町中村寺家町の一画に旧小字地名の所在を示す美土呂公園が設けられている。
 「豊葦原瑞穂の国」の原風景を思い起こさせるドロ地名の代表は、弥生時代の文化遺産である静岡県の登(と)呂(ろ)遺跡、近畿地方では吉野熊野国立公園の瀞(どろ)峡(きょう)の瀞などがよく知られるところであろう。 
posted by 早春 at 11:39| Comment(0) | 姫路市中部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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