2008年01月31日

網干古文書堂 瓦版 2

■瓦版:2■

青畳に茶席が映える片岡邸    古文書資料展示


 平安末期の『色葉字類抄』(いろはじるいしょう)に載るしはすは、現在「師が走る」と書く「師走・しわす」です。師ならずとも誰彼なく忙しく早足で駆け巡った1年も早や終章。と云うわけで12月に龍野藩邸から南組大庄屋(網干片岡家)に到来した「御用状」を2・3紹介しましょう。
 資料122の232の「御用」状は、藩主が年頭の御礼を正月2日御城において受けられるので、前日七ツ時(午前4時20〜30分頃)に町宿へ入り、木綿屋勝三郎方へ着いたことを知らせる。登城は麻上下(裃)着用、御樽代弐百文持参、病気などで出られない時は拙宅(大庄屋片岡徳太郎宅)へ連絡すること。書状は早く回し触れ留めより此方へかならず相戻すこと」。日付は暮れもせまった12月22日。正月なのにお役目ご苦労様と声も掛けたくなるのが偽らざる心情です。
 なおこの触状は「方角触」と珍しい表現の但し書きがあることに注目、藩主に謁見を許された人たちは丁村2人、宮田村1人、坂上村1人、網干福地屋の伊之介、善左衛門、善右衛門の3人、三石屋甚右衛門、藤円の2人、天満屋儀兵衛、唐網屋佐七郎の7人衆の、計11人が名誉ある年頭の拝顔の栄に浴しています。
 つぎの資料122の231表書き「御用」状を要略しますと、「御触帳が到来したので明日23日印判(印鑑)を総会所へ持参すること、なお寺社へも通達するように、書状は早く回し触れ留めより此方へかならず相戻すこと、と念を押し、高田村を始まりとして和久 谷村(朝日谷) 丁村 宮田村 平松村 新在家村の庄屋を経て大庄屋へと間違いなく戻されています。

 ★ UPの季節タイミングがずれましたこと、お詫びいたします
posted by 早春 at 14:16| Comment(2) | 網干古文書堂 ★瓦版 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして 
たいらと申します宜しくお願いします。
極月24日(旧暦)のUPはまさにグッドタイミングではと存じます。
「前日七ツ時」とは寅でしょうか、申の刻のようにも思われるのですが。
尚、読売新聞の方も毎月楽しみに勉強させていただいております。
Posted by たいら at 2008年02月01日 06:54
 思わずウーンと唸ってしまいました。申の刻ですと一泊しなければなりませんね。それで寅の刻を想定しました。今のところ木綿屋勝三郎はどうやらお出入りの飛脚のようで、宿屋ではないのが理由の一つです。でも泊めたかも知れません。むかしは朝の早や立ちが多かったのも、私の頭の中にありました。
 たいらさん又しっかりと内容に間違いないか、読んで教えてください。とても嬉しいコメントでした。有難うございました

Posted by 春麗 はるうらら at 2008年02月01日 15:00
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。