2008年01月10日

天王道  てんのうみち

■姫路市書写■

白山神社目指して鬼も登る.JPG   合寺記念碑.JPG


夢前川の書写橋を西へ渡ると、これまで遠くに見えていた標高371メートルの霊峰書写山が一挙に目前に迫ってきた。
 天王道とよばれた道は、この橋から西へ伸びる県道石倉・玉田線を南北にまたいだ東坂近辺にあって、以前はこの南の渡河地点を中心に昔の観音霊場第27番札所への参詣道と重複する往古の古道である。
天王道の天王とは同じ読みの天皇とは異なり、インドの祇園精舎の守護神である牛頭天王を指し、祇園天神ともよばれる。なお備後の国風土記逸文に載る武塔大王・武塔天神・武大神などの呼び名は、すべて牛頭天王の別称といわれ、牛頭天王は日本へ入ってくると神道では武塔だとか武大の名の荒ら荒らしいイメージを反映して荒ぶる神スサノオノ命と名を変え登場する。仏道では吉備国の逸文に記された蘇民将来(そみんしょうらい)伝説にもとづき、衆生を救う薬師如来の化身となって鎮疫神の役目も担わされているようだ。           
 康保3(966)年性空上人開基という書写山では、毎年1月18日の「修正会」のさなか、蝋燭の炎がゆれる本堂に朗々と響く読経の中に牛王宝印の名が流れ、式も終わりに近づいたころ、長さ30センチばかりの魔除けの棒が参詣者に撒かれる。これが牛王木というもので、これを手にしたものは1年の災厄が除けるとあって暗闇の中で奪い合いになる。以前は「牛王宝印」と刷り込まれた護符も配られたが今は途絶えているようだ。
なお『飾磨郡誌』は「書写字大門にあった万願寺茂(も)梨寺(りじ)薬師堂は、女人堂(如意輪寺)に移り、明治42年東坂本村宝聚寺を合寺した」と記載する。茂梨寺といえば、スサノオノ命がその子五十猛命を伴い新羅に渡り曾尸(そし)茂(も)梨(り)に住んだ、という旧事に由緒を求めるのは無理な推論ではなく、「性空上人入山以前になんらかの宗教施設があった」との記事からは、茂梨寺は牛頭天王の悪疫退散を願う信奉者が籠る古堂だった可能性が高いと考えられる。
posted by 早春 at 22:45| Comment(5) | 姫路市中部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 岡山西大寺の会陽に参加した事があります。
その時、2本ある宝木(しんぎ)は取れませんでしたが、百本まかれる串牛玉(くしご)は取る事ができました。串牛玉は細木5本を牛玉紙(ごおうし)で巻いたものです。牛玉紙とは牛玉・西大寺・寶印(ごおう・さいだいじ・ほういん)と書かれた守護札です。
これを戴く者は福運が得られるというので奪いあいが始まったと聞いています。
 書写山の祭りと共通したところがありびっくりしました。祭り好きなので楽しく拝見しました。
Posted by 興ちゃん at 2008年01月14日 22:11
書写山の祭りと共通したところ
Posted by 春 麗 at 2008年01月22日 09:59
 書写山の祭りと共通したところがあり驚いたそうですが、もともとの御祭神が同じであれば当然のことだと思います。しかし明治以降各地の神社の祭神は村に任せられましたから、農村では圧倒的に稲荷社が増えたように思っています。ただ書写山の牛王宝印も岡山西大寺の牛玉紙も牛頭天王信仰から発生したもので、網干の武神祭は祇園祭りと同じ系譜をたどるものでしょう。
武神祭の縁起をよく知った上で祭に参加してください。ちなみに垣内の武大神社は元祇園さんと呼んでいました
Posted by 春 麗 at 2008年01月22日 10:15
 書写山の修正会を調べて驚きました。魚吹八幡神社武神祭と似ているとは思っていまいたが、同じなのですね。書写山では1個6升の大鏡餅は吊るしているようですが、魚吹八幡神社では台の上に献納しています。
 桜の造花を献納している事も同じですね。興浜が7年前武神祭の輪番の時、桜を造花ではなく、その日にあわせて咲かそうと試みた事を思い出しました。勉強します。
Posted by 興ちゃん at 2008年01月23日 19:49
書写山の大鏡餅は広畑の才が供えることに決まっています。さて何故でしょうか。秘密です
Posted by 春 麗 at 2008年01月24日 13:59
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