2007年09月30日

大正根 たいしょうこん

■姫路市豊富町曾坂■

神谷川岸の新次社案内碑.JPG  行者堂脇の藤掛・大畑稲荷社.JPG


 曾坂口バス停を下車すると、神谷川堤防沿いの「式内新次(にいすき)神社是より六丁」と刻まれた石碑が出迎え、小ぶりな橋を渡ると新次社が間近いことを知らせる。
 社を拝し東への細い小道を辿ると、土地の先達をつとめた故尾島亮太朗さんが熱い心を傾けた行者堂が変わらぬ姿をみせ、藤掛・大畑大明神の赤い鳥居が脇に二つ並んで建つ。
 大正根という文字を書いて「たいしょうこん」とよぶ場所は、曾坂から山越えで飾東町へと抜けるだらだら峠近くにあって、日本のどこにでもあるごく普通の田畑でしかないが、古い時代に日本中に流行した大将軍信仰地名であろう。市内のあちこちに読みを変えつつも地名に痕跡を残す大将軍信仰とは大陸伝来の陰陽道の星の神を祀る信仰を指し、運勢暦を見れば3年ごとに一巡する方位を司る凶神として恐れられると書いている。
 大将軍のふるさと、本場の韓国では大将軍のことを長柱(ちゃんすん)と言い、その形は長い木柱に魔除けの恐ろしい顔が描かれた男女二対の柱が、他村との境界となる村の入り口や川の側などに多く残っていたらしいが、開発は長柱の数を激減させ、最近やっと保存運動が高まり、長柱を一箇所に集めた長柱公園が作られている。
 この信仰はあまりにも古い信仰であるがために、村落では祀る意味がさまざまに変化しているのが特徴で『地名伝承論・池田末則著』は「霜月神事、ことにニジュソ(二十三夜祭り)の神事に結びつく、しかし日本の各地に多く地名で残るこの信仰も、若狭地方を除いてはすでに過去の信仰となっているようだ」と述べる。
 市内では大将軍という呼び名は奥山のほかに数例を数えるのみとなり、それも当地の大正根、玉手の大浄宮(だいじょご)などの当て字となると、もう意味不明となり、一世を風靡した庶民の信仰も追跡は不可能となった。しかし当地の大正根地名が、もと大将軍信仰である可能性は高く、行者堂脇の二つの明神社がその系譜を受け継いでいるとの確信に至った。

posted by 早春 at 22:11| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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