2007年08月20日

10月探訪会・破磐の社 11月歴史 赤松氏

■網干歴史雑学塾■

破磐の旧地.JPG  梶山城山頂の碑.JPG


・竹の里太市にて詠める歌

   ―竹の里・神さびる破磐を詠む川柳三首―
  
    大磐(おおいわ)に神鎮まりて竹の里

    后(きさき)射る鏑矢(や)は磐破り神と座す

    古のいま蘇える懐かしさ
                  岩佐 萠


・歴史赤松氏史話

赤松家再興の不思議         
室町将軍・足利義教を京の自宅で斬殺した赤松家が、この将軍の息子である足利義政の時代に再興した。家臣が主君を斬殺して一旦滅んで再興した例を私は他に知らない。その理由を考えてみると少なくとも二つのことが考えられる。一つは最後の戦いの前に軍隊の解散式を行い、有力な赤松家臣を温存したことである。二つ目は、義政が父を殺した赤松の残党に、南朝が盗んだ天皇の印である神璽を取り返したら再興を許すと約束したことである。これらの常識では考えられない行動についての私の推定では、これらの行動は武士である男の考えだけではないとの感じを受けた。これから自決する武士の統領が自分の軍隊を解散してから共に死ぬ覚悟のある者だけを率いて城に籠もるなどは考えられないし、他の例もない。妾であった室津の遊女・枯野が当主・赤松満祐に進言して、満祐が解散式を行ったと推定した。更に、満祐と枯野の娘である小松が後花園天皇を動かして、義政に約束させたと推定している。            水井 順一

これらの新解釈で、この赤松の物語を小説に書きたいと思っています。                    (2007年4月)
posted by 早春 at 13:28| Comment(0) | 網干歴史雑学塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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