2007年07月22日

8月やさしい古文書・触書 9月地名の話・硯橋

■姫路市太市相野■

触書.JPG  相野橋.jpg


やさしい古文書・触書

 加藤高文氏が公用のため、兵庫表へ出張された時の兵庫県と定まる以前の飾磨県から出された「先触れ」が教材です。
 先触れとは、近世に幕府の役人や大名・公家などが旅をする際に事前に通告して、通行予定の街道の宿場に対して人馬の継ぎ立てや、休泊の準備をさせるための内容を記した文書のことです。高文氏は明治6年3月飾磨県少属に任ぜられ県庁に出仕していますので、その頃の先き触れと思われます。明治と年号が変わり先触れの宛先は「陸運会社役人中」へと変わりましたが、内容は江戸時代と少しも変わっていません。   「餘慶の間」と名付けられた加藤家の一室での雑学塾は、また他とは少し違った空間にひたることができます。    肥塚 昭子

地名の話・硯橋

 大津茂川に架かる相野橋の西詰め北の一角に、「硯橋」という地名の場所がある。ここは西脇との境界ばかりでなく、北へ延びる道は因幡へ通じ今も昔も変わらぬ交通の要衝である。辺り一帯は6〜7世紀にさかのぼる西脇廃寺、古代の官道に設けられた邑智駅家(おおちのうまや)跡などに加え古墳群が散在する。
 大津茂川の派流に渡された橋は、片面が硯の形に穿たれた石棺の蓋が転用されたもので、その形から硯橋の名が起こったのであろう。柳田國男は、境界について「内と外、生と死、此岸と彼岸といったイメージの重なる場である」と述べ、橋の空間を、此の世とあの世との霊魂のさまよう場と位置づける。
 また人が頻繁に通行する橋は、邪悪なものを除くために橋のたもとに橋神を祀り、物々交換の市が立ちそれが太市の名の始まりとなったのかも知れない。                 田中 早春


posted by 早春 at 14:39| Comment(0) | 網干歴史雑学塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。