2007年03月21日

歩行田 あるきだ

■姫路市山田町多田■

さらさら流れる平田川  諏訪明神の杜遠景

 平田川に近い諏訪神社の森に立つと、田を吹き抜ける爽やかな風が舞い立つ。全身で受けとめた風のそよぎは青い匂いを放ち、『播磨国風土記』神崎郡の条「多駝里」の歴史を語りかけてくるようだ。
 兵庫県内でも珍しい「歩行田」という小字地名は、多田地区の南西の隅にあって、西山田地区の通称歩行田と同一の境域にあったようで、もと寺新田と呼ばれていたらしい。
むかし村の寺院は村役場のような存在であったから、山の手入れや溝さらえなどの共同で行われる作業の日時、または寄り合いの時間場所などを、近隣の各戸に知らせるために「触れ歩く」人がいたが、のちに「触れ」を省略してアルキ役またはアルキさんと呼ばれていた。とりわけ近世初期には庄屋の補佐役を勤めたというアルキさんの手当てを、寺が独自で開墾した開発田から捻出したので、この田に歩行田の名を付け他と区別したのだろう。多田地区では以前分村・合併が繰りかえされたというから、近隣複数の村の持ち合いでアルキ役がいたのかも知れない。
アルキさんのことは、浄瑠璃『平仮名盛衰記』に「村中をかけ廻るアルキがにょっと門口から」また『地方判例録』享保5(1720)年の書き付に「本陣・問屋・旅籠屋・茶屋または外商人・百姓・馬役・歩行アルキ役」とあり、すくなくとも八代将軍吉宗のころすでに職業として周知のことがらであった。だが、時代は移り変わり昭和30年代、地域の集会所に放送設備が設けられると品格を備えた村の情報伝達役として活躍したアルキ役はやがて廃止になった。             
市内網干区大江島地区の近世古文書類の中に、出家、僧、医師と並び歩行役
茂右衛門の名が記され、曾孫、茂氏のルーツとの証言を得ることができ、地域を際立たせる歴史地名が一つ裏付けされて浮かび挙がってきた。
posted by 早春 at 20:43| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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