2007年03月01日

別面 べつめん

■姫路市四郷町東阿保■

結ばれた縄は絆の証し  別面公園

 市川の阿保橋東詰めを南へ折れたバスは、まもなく光大寺という停留所にさしかかり下車する。だが辺りに光大寺らしき寺の姿はどこにも見当たらない。
 仁寿山の北麓にあって阿保古墳群(百穴)をかかえる東阿保は、元禄時代以前は野阿保村といっていたようで、現在は光大寺・新田・三軒家・本村と四つの集落からなり、おとずれた日はトンド焼に間近い日とあって、畑の中に飾り付けを終えたトンドに出合えた。
大雨のたびごとに市川の濁流が山裾まで流れ込む土地柄であったのだろう。停留所あたりの字(あざ)を下久保田といい、上流に上久保田の字もあるので、流入する水に川床をえぐられ窪んだ土地に久保田の字があてがわれ、上流から下流に開拓が進められた様子が、現在の新田だとか三軒家などの集落名に残っている。
村へ通じる道の北脇の小さな公園に、子供向けの遊具が並び別面公園の文字が見える。ここがいわゆる別面の南限となり、県道白浜―姫路停車場線をまたいで北へやや扇形に広がる1116〜1167番地が小字でいう別面である。
別面の由来は、地名が残っているにもかかわらず、存在の不確かな光大寺に求められるのではないだろうか。いつとも確定しがたい古い時代に建立され、特別の免除が許可された寺庵は幻のようにひっそりと廃寺となったが、別免の地名だけが残り、やがて免の字は同じ読みの面の字に入れ替わったと考えられる。くわしい理由は分かりかねるが、「建長元年(1249)正明寺文書に「英保郷包末別」称名寺の念佛田4段10があった」と『歴史大系地名辞典』に記載があり、免除地の対象となったのは寺社や常夜灯に許される灯明田や供物を捻出する仏供田などの類ではなく、声明念仏にかかる費用一切を賄う念佛田だった可能性が高いのではないか。
「地名は埋もれた文化財」の言葉どおりに、別面という小さな地名が河川に翻弄されつつも現在に生きつづけ、夕日に映える集落の歴史に彩りを添えたと感じている。


posted by 早春 at 11:35| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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