2006年10月18日

無所ノ下 むしょのした

■姫路市飾東町八重畑■

二組の六地蔵  金池


 372号線の八重畑バス停留所を下車、すこし戻ると八重畑川沿いの墓地に出る。
川を向いて並ぶ六地蔵、もう一列の六地蔵は道側を向き、合わせて12体が据えられた墓地を訝(いぶか)しげに眺めつつ山頂近くの無所ノ下を目指す。
長谷山を縦断するこの道は豊富・御国野を結ぶ396号線で、峠越しの道は岩屋寺へつながり、かつての行者たちが往来する信仰の道であるとともに、字限図に銀山と記載される鉱脈のつながる道でもあったろう。
通常は川底をせせらぎ流れる八重畑川は、慶長の播磨国絵図に「かな山八重畑村」と記された鉱山の繁栄を支えた川に違いなく『姫路市史・10巻』に「飾東郡八重畑村銀山長谷山、但し此の山の内古来銀堀りマフ穴有、始年暦不知 終ハ本多美濃守御代、同長谷寺ト申寺地跡銀山有、繁昌ノ時分出来ノ様申し伝候」とある。しかし鉱山から排出される汚濁水は下流の田畑を荒らし、飲み水を汚染して村人を鉱毒で苦しめた。
 「無所ノ下」はこの川沿いの右岸にあって、金池をはさんだすぐ上の霊園は新設されるまで「無所」と呼ばれる畑で、その下流にあるから無所ノ下となる。
無所というのは墓所のことで、墓所は呉音ではムショとなる。ちかごろの市町村には公営の火葬場が用意されているが、以前は三昧で野辺送りがすむと、村人や近親者の手で土中に穴を掘り丁寧に埋葬したので埋葬地を穴ムショと呼ぶ所もあった。穴ムショは穴無所と書き、ムショは虫生(むしお)の字をあてがわれ穴虫に変化したが、穴はあくまで埋め墓を表している。江戸時代鉱山(やま)の過酷な労働に耐えながら、非業な一生を終えた労働者たちが最後に眠る無所が年を経て畑に転換されたのち、役目を終えた六地蔵は山を下りて村の墓地に移設されたのではあるまいか。そう考えると二(ふた)組の六地蔵の謎が解けた。
 市内では砥堀に無所ケ谷、大塩の馬坂峠の入り口の墓地の小字を穴虫といい、傍らの池の名を穴虫池と呼ぶ。
   
posted by 早春 at 14:08| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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