2006年09月28日

早稲田 わさだ

■姫路市飾東町豊国■

早稲田池  池の横の中学校 

 庄山の古城跡を抱く樹林は、春夏秋冬それぞれのかすかな兆しをいち早く里村に告げ、平野を蛇行する天川の流れは、どれほどの長い年月を生物の命とともに、村の歴史を紡いできたことだろう。
 東山麓の城山中学校すぐ側にある「下早稲田池」その北の「上早稲田池」と呼ばれる二つの池は、近辺の村を旱魃から守る灌漑池として今も機能している。この池の築堤の時期は定かではないが、小字「早稲田」と南に隣接する「居(い)垣内(がいち)」などで弥生時代とも古墳時代後期とも推定される土器の出土報告は、村の起こりを考える有効な手掛かりになりうるだろ。池の歴史と村の歴史の切り離せない相互関係を私たちに課題として投げかけてくる。たゆまぬ手厚い保護が繰り返されてきた池に非情な災害が襲うのは昭和51年(1976)のこと、台風降雨による決壊という事態が発生したと『わが郷土谷外』に記される。
 日本各地に分布がみられる早稲田地名の意味は、凶作に備えて一般の田植えより早く植える田を早稲田といい、中稲・晩稲と播種時期をずらして植えるのも、南北に細長く連なる列島の複雑な自然条件から生まれた先人の知恵に違いない。全国7カ所の奈良・平安時代の遺跡から出土した木簡に記された和佐(わさ)・女和(めわ)早(さ)などの文字は、考古学研究者によって早稲の品種名であることが確認されている。早稲田を「わさだ」と発音する当地方のルーツが、木簡に記された古代米の品種和佐と同じ読みであることは、いっそう村の成立を際立たせる。
 江戸時代の農書『地方凡例録』に「東高く西低き土地は下田なれども早稲によろし」さて合致する地形であれば申し分のないところだが。
posted by 早春 at 21:43| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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