2009年10月01日

興浜本町橋物語 1

■姫路市網干区興浜■
現在の本町橋.JPG  庚申堂の三猿.JPG 

 桜花に酔いしれた四月が終ろうとしていた日曜日、「網干区浜田を訪ねて」と銘打った公民館主催ウオークの集いが本町橋を基点に催された。浜田といえば古刹龍門寺や不徹寺が名所であるが、地元案内人ならではの視点からレトロな記憶につながる大企業躍進時の遺物である廃線跡、それに旧三昧跡などにくわえて古刹もさりげなく取り入れつつ巡り、これが今回の「本町橋の語り」へとつながった
 いにしえより悠久の流れを保つ一級河川揖保川は、『播磨国風土記』に「宇頭川(うずがわ)」と記された川で、自然の采配によって時には流れを大きく変えつつ多くの支流を生みだし、末流のデルタ上に興浜村が起こった。過酷な洪水の災禍は毎年のように沿岸の村々を襲い、そのたびに流れは移動して対岸に観音嶋なる小字地名を伝えつつ、ここに架かる橋の名を「本町橋」という。
 本町橋が架橋されたのは明治13(1880)年3月のこと、現在の橋は銘板に「昭和32(1957)年3月架橋」との文字が刻まれているので、かれこれ50年余りを経過していることになり、これまで幾度かの架け替えの歴史を秘めている。以前の橋は少し南にあって東詰めからの道筋は南に庚申堂(澤山家)があり、信浄庵(地蔵堂)を経て網干の名刹大覚寺の北門へ至る道につながっていた。すなわち現在の本町通りの南一筋目がいにしえの主街道であったことの証しであろう。
 
posted by 早春 at 14:41| Comment(0) | 地域史話最前線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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