2009年09月05日

坪田醤油を支えた人びと 1

■姫路市網干区興浜こんぴらさん境内■

坪田浅五郎.JPG  坪田藤之助.JPG

 姫路市の西南端にあたる網干でもさらに西よりの集落興浜に鎮まる金刀比羅神社は、西讃を治める京極家の領有であることから海上交通を守護する讃岐の金刀比羅宮を勧請したものであろう。
 外垣正面右手の玉垣に二代目「坪田浅五郎」を真中に据えて三本の坪田銘の碑がならび、すこし離れた東に坪田藤之助の文字も確認できる。さらに北に折れるとやや高く盛土された敷地の内境内には、従兄弟の坪田久太郎や浅五郎それに薫とこれも三本が並び、合わせると同族七本の碑が奉納されこの時代坪田本家を中心とした経済的余裕と、海上安全をつかさどる金毘羅信仰への依存度がうかがわれる。
 坪田家の祖は姫路市八代の土豪であったが、ある時期揖西郡伊津村に帰農した。初代坪田浅五郎はたつの市御津町伊津村で弘化元年(1844)出生、明治34(1901)年58歳で没した。坪田家は代々農業と海上運送を生業(なりわい)とし、それに肥料の売買を行っていたが、慶応元(1865)年従兄弟の久太郎と醤油醸造を開始、明治17年から貿易に力を注ぎ明治30年ころより醸造を専門としてヤマホの商標や(まるほ)の商号で坪田一族は醸造家として近隣一円に躍進を遂げていく



posted by 早春 at 14:44| Comment(0) | 地域史話最前線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。