2009年03月24日

蒲原  がまはら

■姫路市大津区天満■


天満の蓮根畑.JPG  天満 菅原神社跡の碑.JPG



 播磨灘一帯に広がる海辺の集落では古くから製塩が行われてきたが、江戸時代に入ると土砂の滞留など自然の作用の積み重ねにより、新田畑作りに適しているとして必然的にその汀(みぎわ)の様子を大きく変えて来た。塩作りに欠かせない海水を導入する澪(みお)だとか、塩害を防ぐための堤防や樋門などで守られた新田地先の天満の浜に、勘兵衛新田が生れると磯浜から遠ざかった農村にとって防潮堤は不必要となった。  
 付近の新田を併せて起こった天神町二丁目辺りが蒲原の該当地となろうか。堤防の役目を担っていた蒲原について『天満村地名考』の中で田村善太氏は、「村の最南端にあって縦割りの塩田を守るかのように東西に伸び面積は二町一反六畝一四歩」で、旧小字「蒲田」の土地を検地町の等級は「荒」となっていると記す。
海や川岸沿いに密生する蒲の付く地名は、往々にして蒲がよく生い茂る湿地帯であったなどの解釈で落ち着いてきたが、そうであれば海に囲まれた日本中に蒲田だとか蒲原、蒲生地名で覆いつくされるだろうから、それ以外の訳がきっとあるに違いない。
 『鉄の考古学』の真弓常忠氏は「古代の鉄の原料は砂鉄であろう。山手の砂鉄は雨水で流され、河川の流域に自然の選別で砂鉄層ができ、最終的には海辺へ流れ、海水で淘汰されると砂鉄層が形成される」ついで「水中の泥の中に地下茎をのばす蒲の根に純度の高い砂鉄、褐鉄鋼がよりつく」との説を述べ、辺りに菅原神社の存在があれば申し分ないという。
 西の長松村との境界の水路際集辺に黒田・安田・芋地・芦田それに蟹田「風土記」に記載される「なへ野(鍋野)」、旧小字(こあざ)地名も含めるとこんなに多くの産鉄との関わりを予想しうる地名が残っている、ということは、この地では原始的な「野たたら」製法で粗(あら)鉄(がね)を生み出していたのではなかろうか。想像ではあるが、なによりも地名が真実を語りかけていると考えるのだが。 
posted by 早春 at 14:44| Comment(0) | 姫路市西部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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