2009年01月23日

才  さい

■姫路市広畑区 才■

犬塚.JPG   修正会の供え餅.JPG

 夢前川の下流域右岸に位置する「才」という名のいわれは定かではなく『才村の歴史』によると元徳元(一三二九)年の資料を初見とするものの「この地の道端に往古道祖神が祭られていたので才の名が出来た」との『姫路市町名字考』を頼る。
 しかし播磨国細見図寛延二(一七四九)年に対岸の山崎から川を越えて才を通る室津道が記され、天保二(一八三一)年渡し場近くに地蔵尊が祀られたが、この地蔵尊じつは仏道に因む賽の河原の地蔵であって道祖神ではなかった。そこでひょっとすると才のはじまりは古代の韓国語で硬い金属を表す語、サヒではなかろうかと疑問がもたげた。技術や文化の促進力となったサヒ(鉄)はサビ・サム・ソホ・ソブと変化して地名に多々定着する。
 南山麓を西へ向かうと間もなく沿道の則(のり)直(なお)に差し掛かる『飾磨郡誌』に才の枝村と記された則直は大山咋命を祀り、両村ともに書写山との深い縁故関係が往来際の「犬塚」の説明板に記される。「書写山円教寺の別院として慶雲山満乗寺(まんじょうじ)に飼われていた賢い犬は、人の言葉をよく聞き分け手紙を首に掛け書写山との間を往復していたが、この犬が病死したので村人たちが丁重に葬り塚を作り弔(とむら)った」と。
 嗅覚がすぐれた犬は産鉄一族が頼りにする山師を指し、鉱脈を求めて書写山中を則直山中を回遊して朗報を伝達した犬と呼ばれた山師の存在は貴重だった。書写山との深い縁(えにし)はこれだけではない、才村明細帳に「書写山鬼会に鏡餅供え申し候、毎年大般若経転読致され候に付き布施米も指上げ。」毎年一月十八日の書写山修正会の鏡餅は才村が奉納するしきたりで、三個の供え餅は「直径一メートル厚さ十センチ、書写講十三人の者が昔は車力で運び当日は昼飯をいただく、布施米の田は天満宮の下の公民館が跡地で犬の名はクロといいます」先の自治会長黒岩勤氏の談話である。        
 白くて大きい鏡餅は白鳥飛来を豊穣と結びつけた「餅的(もちまと)伝説」に起因するものだろう。時は流れ移ろうとも連綿と続く修正会の日、才村からの鏡餅供進は続けられるに違いない。
posted by 早春 at 22:04| Comment(0) | 姫路市中部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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