2009年01月05日

町裏 まちうら

■姫路市八代■

噴水のある庭園.JPG  西の建屋南から.JPG


 国宝姫路城の中堀を越え、坊主町に接した北の路地奥の浄水場はまるっきり別空間の佇まいで、木々の葉擦れの合間に届くかそけき水音はどうやら小さな噴水らしい。
 この町裏のほとんどを占める浄水場の正式名称は「姫路市水道局町裏浄水場」、レトロな建屋に人工池、それに桜の木まであり敷地は二万平方メートルもあるので、小鳥ならずとも訪れたくなる。しかし緑陰広がる庭園の中に緊張感がただようのは,市民の水がめの重責を担うからなのだろう。
 船場川の東にあって東南隅の「町裏」という小字地名は、坊主町だとか河間町それに元禄時代の町名を受け継ぐ鍛冶町など、これら城下町の裏手にあたることから町裏と呼ばれた。町裏をふくむ八代の地下の様子を『ふるさと八代・上巻』は、「大昔は市川が八代を流れていたと想像でき、地下は砂礫層でもと河原であったことを示している。上水道の町裏水源地は地下水を汲みあげているが、水が豊富なのはこのことを裏付けている」と、また「湧水量の多さが確認されて大正一五(一九二六)年地下水の揚水試験が行われると、昭和二年三月町裏水源地の着工が始まり、七月には起工式が行われて翌三年一二月には早くも通水を開始、同四(一九三五)年四月完成した。当時の市域のほぼ中央にある町裏水源地は、汲みあげてきれいになった水を高さ五二メートルの男山に押し上げ、市内に配水するため送水管を昭和三年に敷設」したと記録「町裏ゆは、姫路工業高校の東の伊伝居字(あざ)馬場崎に町裏井堰があり、水は町裏水源地の付近へと流れていたが、船場川の改修工事で失われた。ゆとは水田に入れて稲を育てる用水のことを指し、野里、町裏、宅田、早森と呼ばれる四箇所の「ゆ」があったとも記す。
 あまり気に留めるほどのないありふれた地名「町裏」なのに、市民の命の水を託す上水道の歴史が秘められていた「町裏」。地名って本当に大事なことに気付いた。
posted by 早春 at 11:40| Comment(0) | 姫路市中部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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