2008年10月16日

河間町  こばさまちょう

■姫路市河間町■

河間町界隈.JPG  誓光寺の庚申堂.JPG 


 姫路駅から神姫バスで姫路医療センター(旧国立病院)経由に乗車すると、世界文化遺産に登録された姫路城を眺めつつ、五分ほどで河間町のバス停に着いた。バス停の標識に「こばさまちょう」の振り仮名がないので、市外から初めて訪れる人だとちょっと読みづらい難読地名のひとつである。
 百メートルほど南へ下がると城内から北東への出入り口であった野里門がある。つづきの河間町は姫路城下八十八町の内の一つであるといわれ、八十八町は語呂の良さもさることながら、縁起のよい八の数字をかさねたもので、正しい数字は七十八町だそうな。
 「河間」地名の由来を探ると、文字そのままに川と川の間にある場所を指しているようで、いまは「河」の字を使用しているが、天正15(1587)年の古い書状には川間町の文字で記された古い町名でもある。
 むかし市川の分流の一つであった二股川は、増位山の東麓で、東と西へ流れが二つに分かれていたことから二股川と呼ばれていた。城が築かれている姫山の北部辺りでは、この川の作用で長い間に土砂が堆積して州となり、州は徐々に周辺にせりだしてやや高くなって自然堤防の状態となってくる。やがて堤防の内側の安全な場所に人が住まいを設け、人びとは川と川に挟まれたこの土地に河間の文字を宛がい土地の名としたのであろう。
 『姫路市町名字考』の著者橋本政次さんは「こばさまちょう」は「かわはさまちょう」のちぢまったものであると明確な答えを出している。  後背にそそり立つ広峰山や増位山からの豊潤な落ち水の恩恵は、川のほとりに庚申信仰を根付かせ、昭和4(1929)年姫路市の上水道、町裏浄水場ができて市民の水瓶(みずがめ)を確保した。西隣りの八代町には「挟(はさ)河(こ)」地名と共に、湿地を表わす「深田」や「深ケ」も残り、姫路城を取り巻く堀の防御機能をいっそう堅固にしたであろう「はざま」関連地名は、市内にじつに18の多きを数える。             
posted by 早春 at 21:37| Comment(0) | 姫路市中部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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