2008年08月03日

省己橋  せいこばし

■姫路市今宿■

省己橋.JPG   渇水した大井川源.JPG


  十二所前を経由して西へ向かうバスの車窓から鬢櫛山の姿がチラチラと見え隠れする。鬢櫛山は風土記記載の十四丘の「匣丘」の比定地で、今宿の万燈山が脇を守る。
  琴丘高校を抱え込む東麓の別所谷は、今宿の別所という小字(こあざ)の谷に付けられた名で、谷は昭和の中頃まで県の種蓄場があったと伝えられ、その跡の閑静な地を求めて車崎から琴丘高校が移転してきた。校地との一線を画するかのような小川は、すぐ北の西国街道に沿った湧水池大井(おおゆ)を源流とする流れで、下流の町坪あたりでは大井川とよばれ、さらに下ると水尾川に合流して中河川に発展する。
  小川に架かる小さな橋の名を「省己橋」といい、橋はどうやら登下校時唯一の出入り口らしく、大勢の生徒たちの通学路にしては意外と気取らない粗末な造りがいい。
「省己」こういう字を書いて省己(せいこ)と読ます橋の名は、論語の「吾れ日に三たび吾が身を省みる」から採られたものであろうか。多感な青春時代をこの学び舎で過ごす三年の間「己れを省みて」学生らしき行いをしているか否か、橋が問いかけているようだ。
 でも「省己」の解釈は本当をいえばこの辺りの地形から名付けられたもので、「狭い河」すなわち川幅が狭くなった様子を表す当て字で、もともとはこの辺りの地名だったに違いない。自然堤防で高くなった所はいきおい川幅が狭(せば)まり非常時には濁流となる、その様子を目にした人びとは、「狭河」の文字を当てて注意をうながした。
 高校が移転してきて山災害の危険は去ったが、通学路の一部となった橋に同じ読みの「省己」の文字を宛がった。この時に立ち会った橋の名付け親は、消える地名を愛おしく思いつつ後輩たちに、もっとも相応しい言葉を「論語」の一節から選び出し橋の名に刻んだのではなかろうか。
  八代町では狭河と書いて「はさこ」と読み、河と川の挟い空閑地に発生した町河間町(こばさま)が野里にあって、水への関心の深さを伝える地名のなんと多いことよ。
                  姫路地名研究会  田中 
posted by 早春 at 11:13| Comment(0) | 姫路市中部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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