2009年08月07日

金竹 かなたけ

■姫路市豊富町金竹■祭礼の日の ひょっとこ.jpg  金竹の土井八幡宮遠景.jpg


 朝な夕なに甲山八幡神宮を仰ぎ見る金竹は、段丘の南端にあって横軸に県道仁豊野・大柳線が通じ、縦軸を県道北条・姫路線、播但連絡有料道路が西をかすめるという近古代ともに要衝の地である。
 金竹地名の由来は『神崎郡誌』に「応神天皇は尻調(しづき)尼(ねの)命(みこと)の妹金(かね)田屋(たや)野(ねの)姫(ひめの)命(みこと)の三人の娘を妃として十三人の皇子が生れた尻調尼命は勅を奉じて皇子を養いその子雅彦(わかひこ)外妹毛(も)良(ら)姫(ひめ)を壬生部とした」。古代の部民の一つで乳部(みぶべ)とも書き、乳母(めのと)に推挙された毛良姫を「けら姫」と読めばケラは鋼滓のヒ(けら)とも考えられ、応神天皇の妃金田屋野姫命の金田の名とともに産鉄一族にまつわる地名にいかにも好都合な名である。
 池田末則氏は『奈良県史』の中で職能地名の変化に注目、「小字(こあざ)枝組は画工(えだくみ)・妻田組は爪工(つまだぐみ)・同じく土田組は土工(つちだくみ)の改字とみられる」と述べる。ならば金竹は金工(かなたくみ)の転訛との発想はさして無理とは思えない。横軸の県道東南には古刹岩屋寺が鎮まり、坑道を表すというムカデの御神燈がさがる。西端の市川渡河地点に金属精錬の存在を示すかのように「鍛冶内」集落がひかえ、横軸一線に産鉄から金工(かなたくみ)師それに高度な鍛工までこなした大集団の足跡が浮かび上がる。
 町内の総氏神である甲山八幡神宮の主神は、品太別命(応神天皇)十月秋の大祭礼に金竹村から獅子舞が奉納される。金竹の有方市雄氏の報告によると梯子獅子を含めた伝統の十一曲にはそれぞれに意味合いがあり、最後の梯子獅子に「チャリン」を手にする「猿」と「ひょっとこ」が登場する。「チャリン」は両手に持つ小型の真鍮製楽器から出る音が由来であろうという。猿と火男(ひよっとこ)の組み合わせならば説明の余地をまつまでもなく金属鍛工にまつわる祭りに相違ないだろう。
 明治五(一八七二)年金竹・砂川・曾坂の三ケ村を校区とする錬(れん)金(きん)小学校が善寿庵(現曹洞宗善寿寺)に開かれた。何ゆえ新設の小学校に一風変わった錬金の名を付けたのであろうか、それを確かめる手だてはもう失われている。
posted by 早春 at 21:20| Comment(0) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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