2009年04月15日

渡来 わたらい

■姫路市北原■

旧名白髭明神社.JPG  松原井分水地点.JPG



 姫路駅前を出たバスが細い道を通り抜け阿保橋を過ぎたころ、眼前に市川左岸の平野部が広がりを見せてきた。この道筋は県道白浜・停車場線といい、間もなく田に水が引かれるという六月の午後、噂に聞くところの「糸引井」の分水地を訪ねる。
 分水地点は河川記号で住宅図に表され、奥山・継・東山分水は東へ、松原・中村・宇佐崎への流れは南方面へ伸びる農業灌漑用水で、この水路の開削を四世紀の中ごろと推測するむきもある。
 渡来という名の土地は分水基点の南西方向にあって、条里遺構とおぼしき水田が広がっていたのだが、開発がすすみ記憶に残る風景はもはや失われていた。近くで庭の手入れに余念のない男性は「ここは歴史なんか何もない田舎やでー」と気の毒そうに笑ったが、なんのなんの、農業用水を二方向へ分水という高い技術を持ち合わせた職業集団が、定住した形跡を秘めた歴史の宝庫、それが渡来(わたらい)という地名の起こりに違いないのにと一人呟(つぶや)く。
 県道を西へもどり、坂道をあがると広いグラウンドの脇に大歳神社がある。そこは通称藤の棚と呼ばれ、平坦地をあらわす「棚」と呼ばれる地名は、グラウンドの転換にもってこいの場所であったのだろう。大歳神社脇の小祠は元の名を白髭明神社と伝え、あまりの古社ゆえに祭神は判らないらしい。しかし白髭社であれば若光(じゃっこう)王(おう)を祀っていたに相違ないのだが、若光王は高句麗系の渡来人といわれ、王族の出身で高句麗滅亡の二年前(六六六)に日本に渡って来たと伝えられる。この王が祭神であれば、ここを開拓して定住の地と決めた人びとの出自は高句麗系と推測できる。
 それはとりもなおさず灌漑分水という高度な技術を引っさげて移住した集団であったはずである。そのころ南の白浜町はなお湿原状態の平野が広がり、分水堰築造を仕上げた渡来人集団は先駆的な鉄器を使用して石を削り、刻苦の末に切り拓いていったのだと確信がもてた。
posted by 早春 at 14:10| Comment(6) | 姫路市東部 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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